
夜、事務所で仕事をしている時にふとお腹減ったなーと思いまして、いつもラーメンやお菓子を入れている棚をゴソゴソと探ってみると
兵庫県北部の食材でつくる燻製
少し前に取材させてもらった燻製のお店の缶詰があることに気づきました。兵庫県北部豊岡市の神鍋高原にある、燻製工房煙神というお店で、地元の食材を使った燻製を製造販売していまして、店主からお土産に頂いたものを置いていたのです。
まず八鹿豚から
但馬牛と、八鹿豚(ようかぶた)と日高地鶏(ひだかじどり)という地域ブランド肉の缶詰が3種類あったので、1つ空けてクラッカーと一緒に食べてもうひと頑張りしようかなと。どれどれ八鹿豚を一口・・・・・「う、う、旨い。なんだコレは!」
そして日高地鶏へ
一瞬で食べ終わってしまいもの足らなくなったので、日高地鶏にも手を伸ばして一口。「う、う、旨い。なんだコレは!」2つ目も感動のまま完食してしまいました。ダメだもう誰も私を止められない。豚、鶏と食べて“キングオブ肉”の牛に着手せずにおれるものか、今食べてあげないと牛に失礼だろ。
しめは但馬牛で
ためらうこと無く缶詰を空け「但馬牛の燻製」を口へ運ぶと「う、う、旨い。なんだコレは!」。まさかの3連続で美味との遭遇。数週間前にお店を取材したときに、もちろんその旨さは分っていたのですが、お土産に頂いていた缶詰を発見した喜びと、出来たての燻製とはまたひと味違った味わいに感動してしまったのです。
致命的な表現者...
さて、私はここで深く反省しなければなりません。なぜなら3種類もこだわりの燻製を食べておきながら「う、う、旨い。なんだコレは!」しか感想を述べていないからです。こんな体たらくで映像作品やネットコンテンツを生み出すのが仕事です、とはよく言えたものです。「ちゃんと読んだ人に伝わるように味の感想を書きなさい!」とどこかからお叱りが飛んできます。
でも味の表現は難しい
実際にこの燻製缶詰を食べて旨いと感じた気持を、細大漏らさず誰かにお伝えする事はとても難しいのです。「燻製なのにジューシー」「塩分は控えめであっさりと素材の味」「自然豊かな環境で育った肉ならではの滋味」といろいろと絞り出すことはできるものの、自分が旨いと感じた熱量に対して、出てきた言葉が追いついていないもどかしさを感じてしまうのです。
食レポの難易度とは
普段みなさんがテレビでよく目にするタレントさん芸人さんの食レポは大変高度なスキルです。私たち裏方はちょっと彼らの技術に慣れっこになってしまって「プロならきちっとやってくれるでしょ」と安易に考えているフシがありますが、改めて自分が食レポをできるかというと、実は全然できないのです。
達人の一連のプロセスは?
1:認知
まず食べ物を口へと運びます、この時すでに見た目から深層意識の中で言葉選びが始まっていると思われます。
2:実食
食感を感じ、大きいものは歯で噛みきり、舌で味わいます。このとき先ほど準備しはじめていた表現が適切だったかどうか、実際に食べてみた「味」を過去に食べた料理のデータベースと照らし合わせて、何を言えば最もこの味を適切に伝えられるのかを思考します。良い表現にするためには普段から本をたくさん読んだり語彙を蓄えておく努力も必要です。
さらにタレントさんは言葉を出すまでの数秒〜十数秒までの間にも、美味しい顔、辛い顔、熱い顔など表情という情報で、視聴者に次を期待をさせるという高等テクニックを持っています。
3:感想+α
そしてどんな味かを実感を持って伝えます。短くコンパクトに、なおかつ受け取った人の解釈によって想像の世界を拡げられるような豊かな表現が理想です。なかなか「美味しくないよ〜」とは言えない世界ではあるので、食レポの達人ともなると「マジで!」「ほんとに」などの一言に熱をこめてその真実味を強化することができます。
感想を言った後にすぐ2口目を食べるという合わせ技もありますが、これは真実味を表現している場合と、あまり言葉の表現に満足いかなかった場合にアクションで補うという意味合いもあります。
食レポとコンテンツ作りの共通点
食べ物の味という情報を、レポーターが独自のデータベースで解析し、言葉というコンテンツに変換して相手に効率的に伝える。一連の流れは映像コンテンツを作るプロセスと重なります。
企業や商品の情報を、コンテンツ作りの専門家が過去の経験や調査などから分析し、どうすれば伝わるかを吟味した上で適切なコンテンツに変換。テレビやインターネットなど最も効果的と思われる媒体に配信する。これが基本中の基本だと考えています。
表現というものに完璧な正解は存在しませんが、情報を変換して伝える者(クリエイター)の役割を改めてみなさんに知ってもらえらえばと思い記事を書きました。
次は個人的に訪ねたいお店です