アメリカ発 連続ドラマの恐るべき中毒性

私は日本のドラマをあまり見ません。小・中学生の頃に見た長渕剛の「親子ゲーム」が未だに最高峰です。「あまちゃん」も「半沢直樹」も「踊る大捜査線」も好きですし、他にも気に入ったドラマはあったはずですが、すぐには思い出せません。
 
 
でも、40歳にもなってアメリカの連続ドラマにハマってしまったのはなぜなのか? 「ブレイキングバッド」「ハウスオブカード」「ウォーキングデッド」「セックスアンドザシティー」最近のお気に入りは「Mr.ROBOT」どれも掛け値なしに面白いです。映像コンテンツの王国、アメリカが発信するこれらの作品には、世界中の人を惹きつける普遍的な魅力があって、その普遍性はおそらく企業が自社メディアで発信する手法にも応用が可能ではないかと考えています。
 
 

テーマの社会性

ブレイキングバッドは「ドラッグ汚染」+「男の悲しいプライドvs女の家庭愛」、ハウスオブカードは「男の悲しいプライドvs女の激しいプライド」+「権力闘争」+「アメリカ政治の暗部」、ウォーキングデッドは「家族を守る戦い」+「人間の野蛮性」+「群れ(コミュニティー)の対立」、セックスアンドザシティーはずばり「セックス」、MR.ROBOTは「ポスト資本主義」+「ドラッグ依存」+「アウトロー」。
 
かなり表現が難しいテーマをいくつも重ねて全部取り扱う力技がすごいです。どれだけ優秀な脚本家が後ろに控えているのでしょうか?
 

演出の奇抜さ

作品によって度合いは違いますが、どれも「分かりやすさ」を第一には置いていません。頻繁に「あれ?今のなんだっけ」というシーンがあって、プレイバックが必要です。特に冒頭にある「ダイジェスト映像」と「伏線映像」、各話の終わり方などは研究され尽くしていて、オンデマンドであればすぐに次のエピソードを再生するし、毎週決まった時間に放送であれば、来週が待ちきれない気持ちにさせられます。映画と比べるとお金がかかった大掛かりなシーンは少ないですが、その分練りに練ったシーン設定や、会話劇が特徴です。
 

無名の俳優

ドラマを通して有名になる人はいますが、基本的にスターと呼ばれる役者は少ないです。それよりもクリエイターが築いた世界観にマッチした実力派の俳優が選ばれています。たとえスターが出演していても、どちらかというと少しピークをすぎた人が起用されています。
 

アマゾンプライムやネットフリックスがこうしたドラマを量産していて「傑作」「良作」「普通の作品」「駄作」を世界中に発信しています。この現象から何を学ぶべきでしょうか?

 

自分を信じて粘り続けるパワー

当たるか当たらないかわからない企画を辛抱強く発信し続ける姿勢を、これらヒットドラマから学ぶべきだと思います。企業が発信するオウンドメディアにも同じことが言えます。企業には社会性があり、会社が存続するテーマがあります。これらを発信する上で簡単にパッと発信してすぐに効果が得られるということはあり得ません。1話に予算を何億もかけたアメリカの連続ドラマでさえ、テーマを浸透させるためにじっくりじっくりと攻めています。今、妻が見ている「ベターコールソール」(ウォーキングバッドのスピンオプ作品)なんて、シーズン1も2も全然ストーリーが展開しなくて、シーズン3に入ってやっと、恐るべきドラマ性が立ち上がってきているといいます。

 
再び企業の広告に話を戻すと、ポスティングチラシやSEO対策、リスティング広告に予算をさくのもいいのですが、少し腰を落ち着けて、ジワジワと顧客へ浸透していく戦略も試してみるべきだと思います、これこそがオウンドメディアが最も得意とする領域なのです。

 
とはいえ、ウォーキングデッドのシーズン7の最終話はあまり関心できなかったかなあ。1話目があまりにも強烈だっただけに残念です(と批判は誰にでもできます)

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